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創世記

コミュニケーションの難しさのひとつに、対象との「認識の差」から生じているものがある。紀元前からあらゆる哲学者たちが論じてきたこの議題の全貌を私は知らないが、「わたし」と「あなた」は見ている世界が違うのは明らかであり、分かり合うことができるという主張は人間の傲慢である。それでも私たちは分かり合おうとする。同じものを見ようとする。

ならば私が見て、感じている世界をかたちにしてみよう。私が見ている世界は美しい。無音にしようとしても音に溢れ、目を閉じても色がある。眠って意識を飛ばしてみても新しい世界に飛ばされる。世界は複雑で、無限だ。

鏡の向こうの私が、青リンゴを食べていた。きれいな黄色だった。創世記にアダムとイヴが食べたとされる実である。私はこのリンゴを一人ですべて食べてしまった。私の世界は私にしか見えていない。私の世界は私の中にしかない。私は一人でリンゴを食べながら、一緒にこのリンゴを食べたかった人たちのことを考えていた。

だから私は絵を描いている。

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